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二酸化炭素削減コンペ 優秀賞受賞しました

大阪市と大阪市環境経営推進協議会が協力し、


なにわエコ会議 環境に配慮した企業部会が主催の

二酸化炭素削減コンペの表彰式と省エネセミナーが

2月8日に中央公会堂の大会議室で執り行われました。

 

 

大阪市内で事業活動を行う事業者を対象にしたコンペで...

 
参加された事業者は32社。そのうち受賞者は10社、大賞、優秀賞が2社でした。

 

弊社の設備担当 吉田もこのコンペに参加し、


この度の省エネ事例 :

【 長堀安田ビルの 「テナント照明LED化による省エネ対策」 】


が優秀賞で表彰されました。

省エネセミナーでは、省エネ診断プロフェッショナルの中田 進久氏が 

【知って得する省エネ対策】について講演され、

省エネのヒントをたくさんいただきました。

弊社は今後も省エネ対策として都市ガスの使用量低減化を進めて参ります。

 

念願の出入口

リビングの扉を自分達で開けてくれるのはいいけれど閉めてはくれない。

開けるたびに冷たい風が入り寒いので、ずっと作りたいと思っていた

猫の出入り口。

...

リビングの扉を切ったりガラスを切るのは大変だったので

隣の和室の襖をずらして板をはめ込むことにした。

パイン材の合板を購入し、出入口を取り付けてやっと出来上がった。

使い方がわからなくて始めは2匹とも入口前を行ったり来たりしたけれど

今は自由に出入りできるようになった。

 

同じ物をもう1つ作って長年の悩みは解決。

あとは板の色を白く塗るか壁紙を貼って完成です!

これでもう、寒くない!冷たい風に悩まされない!

もっと早くに作ればよかったー。

次は猫出入り口つきの網戸をつくってみよう。

#猫 #猫出入り口

大阪市の視察研修会への参加

11月30日、大阪市環境経営協議会主催の視察研修会が開催され参加させていただきました。

今回は大阪市のごみの処分場、焼却場という企画で、初めてで興味深く楽しみにしていました。

集合は西梅田のダイワハウス前で、観光バスで阪神高速湾岸線で舞洲、夢洲に行きました。

今回の視察は皆さん人気が高くバスはほぼ満席でした。

  夢洲 北港処分場

 

夢洲北港処分地の概要

夢洲はもともと大阪五輪の会場や選手村にする計画であった140haの海面埋立場。

今後の発展の候補地として、カジノを含む総合ビジネス街構想や、

何かとニュースになっている埋立地です。

現在のコンテナターミナルなど広大なスペースの現状と

今話題のIR法制後のカジノ建設及び大阪万博の開催予定地の見学をバスで周回しました。

 

 

埋立地のイメージは、東京湾の夢洲に代表されるようなごみ処分場で、

一般家庭ごみや産業廃棄物等を一色たんに何の分別、処分もせず投棄していたため、

異臭が発生し、ねずみ・ハエ・蚊などの昆虫が飛び交う場所でした。

現在の埋立地は舞洲の焼却工場で燃焼処分後の残留分だけを運搬投棄しており、

異臭はおろか、昆虫の飛散もありません。

工区は管理されており、周囲はフェンスで囲まれ一般の車は入ることはできません。

今回、大阪市主催ということで立ち入りが許可されていました。

また、埋立地の雨水も排水処理をして大阪湾に排水されていました。

昔との変化に時代の流れを感じました。

 

                    

   夢洲 処分場の排水処理場                              処分場にある展望台

 大阪ひかりの森プロジェクトとは

夢洲は地域から排出された廃棄物の最終処分場で、

たとえ埋立が終了しても排水基準が規定値以下にならなければ、

あらたにビルを建設する等の土地活用ができないという課題を抱えています。

そのような背景から大規模な太陽光発電を行う本プロジェクトは

最終埋立処分場の有効活用におけるモデルケースとなり、

持続可能な社会の実現に向けた大きな価値を生み出します。

処分場にあるメガソーラ設備

              

舞洲 ごみ焼却工場

                               

大阪市西部・八尾市・松原市環境施設組合の舞洲工場は、

人口島全体を緑で覆い、外装デザインを重視して建てられたごみ焼却施設。

ウィーンの芸術家であるフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏により

デザインされたものです。

建物は自然との調和の象徴として多くの緑に囲まれています.

壁面の赤と黄色のストライブは工場内の廃部で燃焼する炎をイメージし、表現しています。

 

内部の廊下はフンデルトヴァッサー氏の作品が展示されています。

        

工場は粗大ごみのせん断破砕、不燃物の選別、金属の鉄、

アルミの選別を自動で行える設備になっています。

可燃物は巨大な焼却炉へ地域からの収集車のごみと一緒に焼却されます。

焼却で発生した排熱は蒸気タービン発電機で発電し、

工場の電力の供給、電力会社へ送電しています。

 

外観は遊園地の建物のようですが内部はごみ処理の大きなプラント工場になっていました。

 

  工場全体の断面模型

 

   粗大ごみピット

                            ピットには自転車やたたみまでが投入されていました。

 

現在の発電量は展示パネルで表示されており、        

1時間当たり約1,800kWで余剰電力を関西電力へ

販売することにより、H26年の入札で約12億円を稼いでいます。

 

工場周囲は緑で覆われ、自然と調和しています。

 

遠くからみえる展望塔のような高い建物は焼却の排気ガスの煙の見えない煙突でした。

 

今回の視察研修会は身近な家庭ごみがどのように処理され

最終的にどうなっていくのかを知るいい機会になりました。

ひと昔前は埋立地やごみ処理場は汚い、臭いものでしたが、

現在は自然と調和したにおいもなく、排気ガスは集塵機ではいじんは除去され、

煙が発生しない非常にクリーンなものになっていることに驚かされました。 

 

 

大阪の今昔80年 と 熊野神社と瀞渓谷の旅

大阪の今昔80年

先日はある百貨店でこの80年間のめずらしい写真や絵画の展示がありました。
そのなかにいま本社ビルの界隈の長堀橋あたりの古い写真が目につきました。
その写真の一枚目は今の板谷橋筋の駐車場のあたりから心斎橋の方向を
眺めたもので写真の堀川は当時大阪市内の東西南北に至る所に堀割りがあり
物流交通に大きな役割を果たしていました。

大阪市内には至る所に堀と橋のつく地名があるのはこれが由来です。 
この写真は昭和14年頃の物で堀の手前に見える白い建物は船着き場のもので、
今の会社の建物は道の向こうがわに位置します。
昭和20年敗戦で一面に焼け野原となった廃墟から次第に立ち上がり
昭和26年この場所を入手し企業活動を始めました。
当時は資金もなく古い木造瓦葺の工場空き家を求めてここに立て直し、
前面一部を事務所に後半を倉庫として仕事を開始しました。
安田の鰻の寝床とあだ名をつけられたものです。
前の道路の向こう側に堀割りがあり道路には路面電車が走っていました。
昭和40年代高度成長期に都市改造計画で掘割は埋め立て地下駐車場と地下商店街となり
地上道路は広くなり現在の様子となりました。
念願の本格建築は昭和48年に完成しました。
当時は今の富士火災海上保険の建物はなく
ビルらしい物はビクターの大阪支店の建物がめだっていました。

あと一枚の堺筋長堀橋にも路面電車が走る写真を見るにつけ今昔の思い出深いものがあります。

熊野神社と瀞渓谷の旅
先日ぶらりと表題の旅行を楽しんできました。
熊野神社三山はさすがに立派なものでしたがあまり知られざる花岩神社は
鳥居をくぐると参道の突き当りは社でなく小高い岩山がありこれが御神体でありました。
古代は自然崇拝で日本最古の神社でちょっと珍しい神社でした。
瀞渓谷の眺めはさすがに目を楽しませてくれました。
泊り先は川湯温泉、川のなかに温泉が湧き出る風情を楽しんできました。

韓国へグルメとショッピング

11月の13日・14日・15日の3日間友達と韓国に遊びに行きました。

今回は、ツアーでなくフリーで観光はしないで

買い物とグルメが目的、動けるのは1日半,3日目は帰るだけの

結構きつい日程でした。


一日目

仁川空港からまずは新羅免税店へのお決まりコース

免税店では何も買わずカフェーでお茶だけ、次に宿泊先の

明洞にある世宗ホテルへ、荷物を開かないですぐ今日の

夕飯のお店、新村へ地下鉄で移動、ソウルの地下鉄で迷う

のは改札を間違って入ると反対方向に行ってしまいます。

特に片方だけのホームしかない駅は困ります。

ソウルの地下鉄は車両が長いのでホームの前に

降りて後ろの改札になると歩く距離は相当なものです。


  

 

コンヌタッカンマリ新村店

  

鶏を丸ごと入れた鍋料理、参鶏湯と似てますが

私は初めて食べましたがタッカンマリの方が美味しかったです。

日本の鍋に例えると、鶏の水炊きに似てます。

座った席の隣は、留学している娘さんの家族が来ておられ

人気の店で娘さんお薦めの店でした。

食事を終え、東大門へ、皮製品を見に行きました。

目的のお店が閉まっていたので、他のファッションビルへ

問屋なので洋服が安く買えます。

  

欲しいものはいっぱいありましたが初日なので下見だけしました。

下見を済ませホテルのある明洞にもどり、明洞でウィンドショッピング

東大門で見た同じ服が、2倍の値段で飾ってありました。

 

2日目

朝ご飯を、食べに行きました。タラスープのお店

ここも、初めてのお店、朝早くにもかかわらずお客さんで

いっぱいこのお店でも日本人の観光客、何回も来てるそうです。

次に海鮮物の市場に行きました。

そこでは、するめとカワハギの乾きものを購入

   

 

次に南大門へ、明洞から歩いていきます。露店のお店等

観光のメッカ韓国のツアーに必ず入っています。

ここでの買い物は、ファーの襟巻と携帯ケースを買い移動

次の目的地は、地下鉄で遠距離の江南に移動

江南の高速ターミナルの地下にあるGOTOMALL地下商店街

安いお店が沢山あり、10,000ウオン日本円で1,000円位の

服があり、カバンも10,000ウオン均一のお店もあり、目移りして

迷います。

 

お昼は、韓定食のお店で、お変わり自由、カンジャンケジャン(蟹の醤油づけ)

生ものなので躊躇しましたが、初めての好奇心で3キレ食べ心配とおり

お腹が痛くなりました。

夕飯は、サムギョプサルを食べに合井(ハプチョン)に、

斉洲トンサドンと言う人気のお店、夜でも外で沢山待っています。

帰りにロッテマートにより、お菓子を購入、土産はマートで買うのが

ベストです。

   


3日目

最後の日の朝ごはん、ホテル近くのお粥さんへ、あわび粥を食べ

忘れ物の残りをマートで購入し空港へ、途中土産物やに連れて

行かれましたが、マートで買ったお菓子(2,600ウオンが、)

日本円で500円と倍近くになっていました。

 

今回の旅行は、地下鉄で移動し歩きとハードなスケジュールでしたが

食はどのお店も満足でした。買い物は欲しい物が買えなかったので

満足度は低かった3日間でした。

#お腹の中の憩いの部屋

お腹の中の憩いの部屋

 

10月7日の金曜日の朝 体がだるく熱っぽいし、お腹が痛い。

寝ていれば治るかと午前中は様子をみていたのだが、どうもおかしい。

右の腰骨から2センチくらいおへそ側の腹部にぽっこりとしたしこりができて、

指でそれを押さえるとすこぶる痛い。

これは、やばいと思って係りつけの内科医へ。医師は、触診のあとCT撮影を指示して、

出てきた結果は「上行結腸憩室炎」。やはりと思った。

と言うのも15年ほど前にも同じ痛みの経験をして入院をしている。

 

今回も医師の紹介で、翌朝 総合病院へ行き、そのまま入院治療とあいなった。

 

そもそも憩室とは、大腸が風船のように外側に膨れてできた窪みである。

この窪みの名をいつ誰がつけたかは知らないが、何故「憩いの部屋(室)」なのか?

 

憩室があっても普段は何ともないのであるが、腹具合を悪くした時などに、

ばい菌がその穴に入りこんで暴れると炎症が起きる。これが憩室炎である。

ばい菌にとっての憩いの部屋なのだろうか?

 

さて、治療はというと外科的な手術は一切なし。

腕に点滴の針をしっかりと固定され、10日間の治療計画が示された。

8日の初日からは、絶食して四六時中ブドウ糖の点滴を流し、日に3回の抗生物質の投与。

お腹の中を空っぽにするまで何回となく排便に通う日が続く。

それこそつい最近、大隅教授が発見してノーベル賞を受賞された「オートファジー(自分を食べる)」状態である。

ようやく5日目の朝方には、腹の痛みがなくなってくる。

 

やっとここから食事が始まるが、先ずは全粥からの様子見。

全粥とはサラサラの重湯でおかずは具なしの薄い味噌汁と哀れなものである。

しかし、絶食していた後では、それでも美味しい。

    

(写真           全粥                                    三分粥                                     七分粥                 )

食べてもと言うか飲んでもというか、異常をきたさなかったので、

日を追うごとに三分粥 五分粥 七分粥 全粥と内容が上がっていく。

それにつれて点滴や抗生物質の量も減っていって治療終了となる。

 

中には途中でぶり返す患者さんも居るとのことで、その場合はまた一からやり直しだそうである。

そうなったら悲劇。

 

幸い私の場合は、順調に回復して14日には点滴の針を抜いてもらい、

15日の土曜日の朝にようやく退院できた。その朝は、まさに私の退院を祝ってくれているかのような秋晴れ。

丁度、孫の幼稚園の運動会の日で病院からそのまま運動会場へと駆けつけたものである。

(写真 退院の朝)

治療が終わっても憩室そのものは無くならない。これからも付き合っていかないと仕様がない。

ばい菌君があばれないように祈るばかりである。

 

京の一日

この連休、小学校1年からの長い付き合いの同級生に、

最近彼女が一押しの割烹に連れていってもらうことになりました。

 

「せっかく京都に行くのだからどこか散策しよう!」

となり、

秋の特別公開をしている紫野大徳寺 塔頭を拝観させて頂きました。

 

早くに出たのでバス停で降りてまずは腹ごしらえ。

細くて繊細な盛りそばをお塩とつゆでいただきました。

 

お腹が落ち着き、そこからは大徳寺エリアに入り、

しっかり歩け歩けと黄梅院、興臨院、総見院、高桐院とまわりました。

   

どの院ももみじの葉の緑や竹林が鮮やかです

    

枯山水の砂紋、苔の緑も映えて素敵なお庭で

日常を忘れそうな凛とした空気が流れていました。

 

各院ではボランティアの方が解説下さるので

歴史上の人物を頭に浮かべ思い出しながら、

貴重なお話を伺うことができます。

 

すぐそばの今宮神社も参拝し、しっかり歩いて喉も乾いたので、西門を出たところであぶり餅を頂きました。

 

小指ほどの大きさのお餅を竹串に指し、備長炭で炙り、白味噌を加えたタレにくぐらせたお餅は

こげ目がついて風味よく、ほうじ茶によくあいました。

 

ゆっくり中庭を眺めながら昔話やお互いの近況報告をしていた話の中で

出町柳の「かま餅」のお饅頭の話題になり、

ここから近いしせっかくだから夕食の前に今から買いにいこう!と意見が一致。

またバスに乗って出町柳商店街を目指しました。

 

出町柳には豆餅で有名なふたばもありますが、二人は目もくれず

先ずは家族へのお土産に阿闍梨餅のお店へ。

ちょうど出来立てが着いたばかりだったので購入。

自分用にも一つ買って ぬくぬくをかじりながら、もうひとつの目的「かま餅」のお店へ向かいました。

豊作への願いが込められた、鎌の形の名物餅で、明治30年創業の小さなお店なので

夕方は閉まっているかもと心配していましたがご主人によると

20時までは開けているそうです。

こちらも店内で一つ頂いてふわふわのお餅とこしあんを堪能しました。

あたりが薄暗くなってきたのであとは近所のお漬物屋さんへ急ぎました。

ここでお勧めの青鉄砲というお漬物を購入したらお買い物は終了です。

夕食の予約時間が近づいていたので少しがんばって早足で

御所や同志社の会館を通り過ぎ丸太町の割烹へ

かれこれ20分以上は歩きました。

 

汗をぬぐいながらお店に到着、はじめのビールが美味しかったこと!

 

今回は秋の特別公開で黄梅院のご住職がおられ、

ご自身作の唄を御朱印帳にその場でいただき感激でした。

 

思えば大方半世紀近い付き合いの友人、

また近いうちに御朱印を頂きに神社仏閣を巡って参拝させて頂こうねと

今迄のよきお付き合いと 健康で一緒に来られたことに感謝して別れました。

紅葉の季節にまた行きたいと思います。

 

 

#和久傳 #大徳寺 #塔頭 #御朱印帳 #今宮神社 #あぶり餅 #鎌餅 #京漬物 

 

新潟への旅行

関西人にとって国内で一番なじみの浅いところ北関東方面で新潟、福島、茨城などは

とくに目玉となる観光地もなく旅行に行く機会はないのではないでしょうか。

今回は長男の住む新潟に次男家族と一緒にいくことになりました。

 

長男は7年前に結婚、5年前の新築祝いに同じメンバーで行く予定でしたが

次男が仕事の関係で行けなくなり、たっての希望で5年ぶりの新潟旅行になりました。

新潟へは新幹線、自動車、飛行機等と検討しましたが

子供への負担の少ない飛行機で行くことにしました。

 

  

まずは新潟のB級グルメの代表タレかつ丼で腹ごしらえ。

現地では有名店のとんかつ政ちゃんで醤油ベースの甘口のカツ丼で舌つづみ

 ボリューム満点で福井県のソースかつ丼とは違い美味でした。

 

 

夕飯の材料を新潟市内の万代島鮮魚センターで調達です。

 

 

新潟は米づくりで有名ですが、市内に信濃川や阿賀野川があり

河川近くの三角地ではくだものづくりも盛んに行われ、

なし・ぶどう・りんご園も市内にありちょっと覗いてみました。

 

 

まだ、夕方まで時間があるので、関西からは特に行く機会も少ない山形県側の

村上市まで車を飛ばしました。

村上市では三面川(みおもてがわ)のサケをイヨボヤと呼び、

「イヨ(イオ)と「ボヤ」はともに魚を意味する言葉で、

三面川のサケを「魚の中の魚」「三面川の鮭でなければサケとはいえない」

と言うほど、鮭と密着した生活をしています。

 

                                                                 (イヨボヤ会館)

 

 

村上市内の民家の軒先にサケを干す風景がありました。

 

 

イヨボヤ会館は村上市を流れる三面川のサケに関する歴史や

文化などを知ることができ、季節によりサケの産卵やふ化るまでの様子を観察できます。

 

村上市は新潟県北部の村上城を中心地として栄えた歴史ある城下町です。

お城はありませんが、黒塀通りは風情を残す緑豊かな通りがあります。

 

 

 

翌日は前々から一度は行ってみたかった新潟三条市にある

 爪切りの専門メーカの諏訪田製作所に見学に行ってみました。

 一つの製品をここまで特化して作り上げることで世界的に有名な

会社に育てあげることのすばらしさを拝見しました。

製造工場にありがちな3Kもなく、3Sの快適な環境で仕事をしている姿は

誇りを感じとれました。

 

ダマスカスレイヤードという商品名のこの爪切りは¥64,800-する逸品で、

素晴らしい出来栄えです。この値段でも品切れになるのはブランド力の強さであると感心しました。

 

 

この旅行で心配されていました台風の影響もなく、

孫たちの長旅中のトラブルもなく帰阪することができました。

今度は冬の新潟にもいくことになりそうです。

 

睡蓮と蓮の違いは?

8月も早、下旬になりました。

今年の夏の暑さは格別ですが、「リオのオリンピック」・「夏の高校野球」と胸躍る

夏になりました。

7月8月の暑さの中、池等に緑の大きな葉っぱが涼しげな「蓮」「睡蓮」を発見すると

ほっとするのは、私だけでしょうか?

 

今回は、「蓮」と「睡蓮」の違いを調べてみました。

『スバリ解決「違いガイド」』を参考にさせて頂きました。

①「睡蓮」=水面で花が咲く。 「蓮」=水面より上で花が咲く。

②「睡蓮」=葉に撥水性なし。 「蓮」=葉に撥水性あり。

③「睡蓮」=葉に光沢あり。  「蓮」=葉に光沢なし。

④                 「蓮」=レンコンは蓮の根。

⑤「睡蓮」=スイレン科    「蓮」=ハス科

⑥ ロータス=「睡蓮」と「蓮」の総称。

 

※ 「大賀ハス」のミニ知識(Wikipedia参照)

1947年(昭和22年)7月28日に東京花見川の採掘現場から1艘の丸木船を堀り出されました。 1949年(昭和24年)その場「落合遺跡」から縄文時代の2艘の丸木船とハスの果托が発掘されました。

1951年(昭和26年)植物学者でハスの権威者の大賀一郎博士とボランティアがその遺跡の発掘調査し、3月30日に女子中学生がハスの実1粒を発掘。4月6日に2粒発掘。計3粒発掘されました。

大賀博士が府中市の自宅で5月上旬から発芽育成。2粒は失敗しましたが、1粒は育ちました。    2000年以上前の古代のハスの実が、1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪の花を咲かせました。

国内外に報道され、米国ライフ誌は、「世界最古の花・生命の復活」と掲載されました。

 

8月盛夏の想い出

 

8月夏本番となりました。

8月は子どもの頃は夏休みの本番で楽しい月でした。

私は小学校の時は大阪市内上町台地の上二、上四の間の空堀通り近くの

清水谷に住んでいました。

夏の夕方、狭い庭先の縁側で打水と風鈴の音で涼を取り

浴衣掛けで団扇で蚊取線香の煙を送りながら辺りが暗くなるのを待って

手にした線香花火の松葉模様のパチパチと散るのを楽しんだものでした。

 

近くの空堀商店街には祭りの夜店が出て小遣いを五銭ほど貰って

下駄履き浴衣姿でそぞろ歩き、

壹銭で屋台のオジサンが足こぎで綿菓子を作るのを買って甘味をしゃぶり歩き、

また鳩や兎の型をした飴菓子を作るオジサンからこれも壹銭位で買うのも楽しみでした。

 

山盛りのかき氷、美味しい蜜をかけて、これは少々高くて2銭か3銭であったかの想い出です。

 

今の子供達にはこのような想い出はあるのか、

クーラーのかかった家の中でスマホに夢中になっているだけかなと心配です。

 

夏休み最大の楽しみは海水浴行でした。

当時は南海線浜寺駅の海辺が白砂青松のビーチで

時に姉や兄と一緒に親戚の家を訪ねて海水浴を楽しみました。

 

家にいる時、昼過ぎには時折「金魚や!!金魚!!」と連呼する行商の声が聞こえます。

リヤカーに盥(たらい)一杯の金魚を泳がせて運んできます。

 

「竿竹!!サオダケ!!」と物干し用の青竹の長い束を積んで

竿竹売りのオジサンの声がのどかに聞こえます。

一服の夏の風物詩でした。

 

長じて中学に進学し高学年の頃から戦争色の濃い時代に突入し

高校入学時には米英を相手に大戦に突入し、暗黒の日々が続きました。

 

昭和20年の8月15日 日本全土の殆どが焼野原と化す中、ついに終戦となりました。

忘れもしません、私は学業中端ば兵役に服したが

虚弱体質のため栄養失調でダウン。兵役免除で自宅へ帰り

病床で横たわりながら8月15日正午にラジオ放送で聴いた

天皇陛下の玉音放送(耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び)と

有名な一声涙共に下る陛下の終戦宣言の音調は耳にこびりついています。

全身から力が抜けた思いでここからどうして生きるのかと虚脱状態でありました。

ミンミンと蝉の鳴き声が空々に聞こえた暗黒の想い出であります。

平和は有難いとしみじみ思う8月です。

世の中の無事平穏を祈るのみです。

 

平和の有難さと言えば先日夏のバカンス小旅行で

四国愛媛県の道後温泉を足掛かりに奥道後を探訪してきました。

道後温泉は夏目漱石の小説【坊ちゃん】でも有名な名湯で

湯質はサラリとした淡白なものでゆっくりと1泊楽しませて頂きました。

 

翌日行ったのは山道を奥へかなり登った処に明治時代に開発された

別子銅山の跡がありいわゆる東洋のマチュピチュと噂される遺跡です。

標高800mの四国山中に住友財閥が開発した鉱山で

金、銀、銅の希少金属を掘り出し当時の産業活動の素材を大量に提供し

それに従事する従業員約5000名の社宅や生活基盤のインフラを

山の奥深くに建設しました。

最盛期には大いに栄えた町も時の流れで鉱山は閉じられ

今は山深い中に取り残された遺物となり夏草に囲まれています。

その状況が有名なペルーのインカ王国跡のマチュピチュに似ており

地元では世界文化遺産の登録を望んでいます。

鉱山跡のトンネルの探訪や鉱石を積んだトロッコ列車を

観光用に改造したのに乗るのも楽しいものです。

緑奥深い山中に自家発電用に造られたダム湖も3ヶ所あり

当時の住友財閥の力を偲ぶ1日でありました。

これも平和な世の中でこそ味わえるゆとりであります。

 

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