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8月盛夏の想い出

 

8月夏本番となりました。

8月は子どもの頃は夏休みの本番で楽しい月でした。

私は小学校の時は大阪市内上町台地の上二、上四の間の空堀通り近くの

清水谷に住んでいました。

夏の夕方、狭い庭先の縁側で打水と風鈴の音で涼を取り

浴衣掛けで団扇で蚊取線香の煙を送りながら辺りが暗くなるのを待って

手にした線香花火の松葉模様のパチパチと散るのを楽しんだものでした。

 

近くの空堀商店街には祭りの夜店が出て小遣いを五銭ほど貰って

下駄履き浴衣姿でそぞろ歩き、

壹銭で屋台のオジサンが足こぎで綿菓子を作るのを買って甘味をしゃぶり歩き、

また鳩や兎の型をした飴菓子を作るオジサンからこれも壹銭位で買うのも楽しみでした。

 

山盛りのかき氷、美味しい蜜をかけて、これは少々高くて2銭か3銭であったかの想い出です。

 

今の子供達にはこのような想い出はあるのか、

クーラーのかかった家の中でスマホに夢中になっているだけかなと心配です。

 

夏休み最大の楽しみは海水浴行でした。

当時は南海線浜寺駅の海辺が白砂青松のビーチで

時に姉や兄と一緒に親戚の家を訪ねて海水浴を楽しみました。

 

家にいる時、昼過ぎには時折「金魚や!!金魚!!」と連呼する行商の声が聞こえます。

リヤカーに盥(たらい)一杯の金魚を泳がせて運んできます。

 

「竿竹!!サオダケ!!」と物干し用の青竹の長い束を積んで

竿竹売りのオジサンの声がのどかに聞こえます。

一服の夏の風物詩でした。

 

長じて中学に進学し高学年の頃から戦争色の濃い時代に突入し

高校入学時には米英を相手に大戦に突入し、暗黒の日々が続きました。

 

昭和20年の8月15日 日本全土の殆どが焼野原と化す中、ついに終戦となりました。

忘れもしません、私は学業中端ば兵役に服したが

虚弱体質のため栄養失調でダウン。兵役免除で自宅へ帰り

病床で横たわりながら8月15日正午にラジオ放送で聴いた

天皇陛下の玉音放送(耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び)と

有名な一声涙共に下る陛下の終戦宣言の音調は耳にこびりついています。

全身から力が抜けた思いでここからどうして生きるのかと虚脱状態でありました。

ミンミンと蝉の鳴き声が空々に聞こえた暗黒の想い出であります。

平和は有難いとしみじみ思う8月です。

世の中の無事平穏を祈るのみです。

 

平和の有難さと言えば先日夏のバカンス小旅行で

四国愛媛県の道後温泉を足掛かりに奥道後を探訪してきました。

道後温泉は夏目漱石の小説【坊ちゃん】でも有名な名湯で

湯質はサラリとした淡白なものでゆっくりと1泊楽しませて頂きました。

 

翌日行ったのは山道を奥へかなり登った処に明治時代に開発された

別子銅山の跡がありいわゆる東洋のマチュピチュと噂される遺跡です。

標高800mの四国山中に住友財閥が開発した鉱山で

金、銀、銅の希少金属を掘り出し当時の産業活動の素材を大量に提供し

それに従事する従業員約5000名の社宅や生活基盤のインフラを

山の奥深くに建設しました。

最盛期には大いに栄えた町も時の流れで鉱山は閉じられ

今は山深い中に取り残された遺物となり夏草に囲まれています。

その状況が有名なペルーのインカ王国跡のマチュピチュに似ており

地元では世界文化遺産の登録を望んでいます。

鉱山跡のトンネルの探訪や鉱石を積んだトロッコ列車を

観光用に改造したのに乗るのも楽しいものです。

緑奥深い山中に自家発電用に造られたダム湖も3ヶ所あり

当時の住友財閥の力を偲ぶ1日でありました。

これも平和な世の中でこそ味わえるゆとりであります。

 

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